春雨

私は比較的幼少期の記憶が残っており、自我が目覚めた瞬間についても記憶している(エピソード的にはたいへんどうでもいいことなので省略する)。

死という概念を初めて理解した時のことも覚えている。父方の祖父が亡くなったときのことだ。
父方の祖父は家が離れていることもあり、1年に1回会えればいい方だったが、大柄で優しく、孫が来るたびにうれしそうにおもちゃを買ってくれたことを覚えている。


小学校低学年のころ、その祖父が亡くなった。母が子供達をワゴン車に乗せて父の実家に向かったらしいが、その経緯についてはよく覚えていない。しかし棺に横たわる祖父の姿は覚えている。棺の中の祖父は祖父の形を模した人形のようで、いまいち祖父が亡くなった、ということをうまく理解できなかった。
その祖父の棺に、親族が次々と祖父の身近なものを入れていく。私もそれを手伝ったが、その中に春雨があった。市販されている、大袋入りの春雨だ。私は祖父が春雨好きであるとは聞いたことがなく、また葬儀の際に棺に春雨を入れる慣習があるのかどうかも知らなかった (今も分からない)。私は春雨を抱えながら、隣にいた父に、何故春雨を入れるのかを聞こうと思い、顔を上げた。
父は声もなく、遠くを見つめて泣いていた。父が泣いているのを見るのはそれが初めてだった。私は結局、春雨を入れる理由を聞くことができなかった。

 

のちに母に春雨のことを話したが、「春雨なんかあった?」と要領を得ない回答だった。もしかしたらこうした私の記憶は勘違いで、私は祖父の棺に春雨を入れなかったのかもしれない、ともたまに思う。しかしやはり春雨は祖父に連れ添って火葬されたように思うし、声もあげずに遠くを見て泣く父に、春雨の理由を聞けなかったことが人の死なのだと、今も理解している。